『社長日記』一緒に生きるためにーーぶどう畑が生まれた理由
- ぶどうコラム
先日、蔵の整理をしていたら、二代目が大切にしていた古い本が出てきました。
昭和13年(1938年)のもの。序文にはこんな言葉がありました。
「本書は一度や二度読んでみては、本当の味はわからぬ。何度も繰り返し読んで初めて、深みがわかる。一心不乱に読め。」
その言葉の前で、しばらく考え込んでしまいました。

私たちのワイナリーの歴史は、米騒動のあとの富山から始まります。
1918年、富山県魚津から全国へと広がったあの争乱。米の値段が高騰し、人々が生きることに必死だったあの時代の記憶がまだ色濃く残る中で、初代はぶどうの栽培を始めました。
なぜ、ぶどうだったのか。
米だけに頼っていては、この土地の人たちが生きていけない——そう感じたからでしょう。地主として、農家の方々とともに生きてきた家として、「一緒に生きるために、別のものをつくる」 という決断だったのではないか、と。
それは経営の話ではなく、もっと根本的なこと。働くことは、生きること。
その信念が、ぶどう畑の始まりにあったのだと思います。
山藤家が20代にわたって積み上げてきたもの。
私は21代目であり、4代目代表となりました。
戦争を越え、高度成長を越え、過疎化の波も越えて、それでもこの富山の土地でぶどうを育て続けてきました。
あの本の序文の言葉は、農業の心得でもあるのかもしれません。
一度や二度ではわからない。何年も、何十年も重ねて初めて、土地の声が聞こえてくる。
やまふじぶどう園・ホーライサンワイナリーは、もうすぐ創業100年を迎えます。
蔵から出てきた一冊の古い本が、その長い時間の意味を、改めて教えてくれた気がしました。
これからも、一心不乱に。富山の土地と、ともに生きていきます。